続・ブログを再開する

前回の記事は肩慣らしである。とにかく文章を書くのが苦手なんである。なので、「である。」調にすることによって気分だけでも出しているんである。

 

ところで江戸時代の文語文というのは「~候(そうろう)」で終わるという定型を持っていた。例えば「おなかへった」も「おなかへったで候」と書くだけでグっと引き締まるんである。この「である」も似たようなものといえる、である。

 

さて文章はさておき、ブログを書くのがなぜ難しいか。私が最近目にするブログは何かしらちゃんとテーマを持っている。最近で言えばツイッターで話題になった献血ポスターについての考察など。これはツイッター発の話題であるが、ブログ記事になると凄く明晰に分析や説明したりなど、すこぶるたまげる。こんなことは私には到底無理である。

 

あるいは本、漫画、映画などの感想、考察、など。これも難しい。なぜかというと私は何を見ても人様に披露するような感想なぞまるで浮かばないんである。「すげー」「全米が泣いた」「やばい」など、映画の宣伝CMに出てくる素人以下の感想しか浮かばないんである。例えば大ヒット映画の「天気の子」の感想は「都会ではエロゲみたいなことやってる一方で田舎では牛が流されてるんだろうなあ」くらいのもんである。

 

まあそういうのも感想は感想なのだが、どうも自分を無根拠に過大評価しているところが未だにあり、この私が作品を見てこんな陳腐な感想しか浮かんでこないなんかありえない、などという妄念に囚われ、何も言えなくなる。

 

ここでブログが書けない理由に気づいた。つまり承認欲求のせいである。すぐさま大した事を言って人様から反応をもらいたがるこの浅ましい性根のせいである。

 

はっきり言ってこんなブログは誰のためでもない、自分のためのもののはずだろう。自分が書きたいことを書いて満足すればいいのに他人に良く思われたいという思いがムクムクと勃起するせいで書けなくなるんである。

 

何事も慣れであり、才なき者は慣れるしかない。そして数撃ちゃ当たる。当たらんでも自分なりに満足がいくものが自分の中から出てきたらそれで良いのではないか?

 

ということで次回は本の感想を書いていく。

一応の本はこれ。

 

 

こんな便利な機能があるの知らなかった。