座椅子が壊れたのと俺が泳げない話と性的なまなざし

PCをやる時は座椅子に座っているのだが、その座椅子の背もたれ部分がとうとう壊れた。座椅子の背もたれは消耗品である。必ずある日壊れてしまう。座椅子の運命だろう。

 

さて、こうなっては俺の背を支えてくれるものは何もない。こうなってはあぐらをかくか正座をするかしかない。俺はあぐらをかくとなぜか足が痺れる。正座のほうがマシである。こうなってはグーグルに聞いて正座の正しい方法を教えてもらうしかない。正座はおそらく姿勢を正すだけでなく性的なクンダリーニ的な何かも刺激するはず。そこらへんもグーグルに聞けばクンダリーニから何から教えてくれるはず。

 

本当に、今は何でもグーグルに聞けば教えてもらえてしまう時代だなあ。正座のやり方もクロールの泳ぎ方も思いのままだ。

 

さていよいよ本題である。俺は泳げない。本題ってほど大した話にもならないのだが、今日はこれを書こうと思う。俺は泳げないのである。

 

幼い頃にスイミングスクールに通うことはもちろん全力で拒否した。学校だけでも面倒くさいのにそれに加えて習い事なんてありえない。ゲームをする時間が減るじゃないか。というわけで水泳を習ったことは一度もない。

 

成長してから人に聞くと、結構泳げない人は多い。今思えばなんてこっちゃないことである。しかし俺の小学校の同級生たちはなぜか運動は妙に出来る野生児ばかりであり、みんな泳げるのである。確認はできないが泳げなかったのはただ俺一人だったのではないか。えらいことである。プールの授業を皆は心待ちにしているのだが、俺は憂鬱しかなかった。夏が近づき気温が上昇しプール開きが近づくと共に世界の終わりが近づいているような気分だった。俺は自分一人だけが恥をかくのは世界で一番嫌いなことであった。今のようにネットもなかった時代であり子どもであったので学校が世界のすべてだったのである。水泳パンツ一丁になって生白い体で無様に水に沈む様を健康的に日焼けした野生児共に嘲笑われるなんて耐えられない。

 

そういう時に俺はどうするか。もちろん得意技のバックレである。学校を休むわけにはいかなかったので、何かと理由をつけては見学である。俺と同じような陰キャ仲間と一緒に日陰でミニ四駆の話などをして時間を潰していたのだが、野生児たちの刺すような視線を感じてこれも耐え難かった。もちろん今となってはプールの隅にいる陰キャのことなんてプールで狂乱状態の暴徒共の脳裏には浮かんではいなかったであろうとは思うのだが。

 

しかし野生児の中にも学校権力の奴隷みたいな奴がいて、ズルをしている奴が絶対に許せないようなのである。しかし俺のズルなんてカンニングのような得をする類のものではなく、単にプールに入らないというだけで誰も迷惑してはいないと思うのだが、それでも許せないようなのである。そんな連中にある日糾弾を受けたような気がする。具体的には思い出せないがきっと受けたのだろう。それ以来権力の奴隷みたいな奴は不倶戴天の敵である。

 

とにかくみんなに同じことをやらせようとするヤツらが大嫌いなのである。完全に私怨なのだが、とにかく魂レベルで嫌いである。ノリという奴も嫌いであり、ノリをぶち壊す行為は大好きである。とにかく根が暗いサボり野郎なので、学級委員長みたいなのには瞬間的に反発を覚える。

 

さて何が言いたかったかというと、ブログが書きたかったのである。結構長く書けて満足である。でもこれで終わってはまた短いと言われそうなのでもうちょい続ける。

 

性的にまなざすとは何か。これは大問題なのである。俺が性的なまなざしを持ってしまったのはおそらく物心がついたのと同時である。生まれながらのおっぱい好きに生まれついてしまった俺は、テレビでおっぱいが映される度に多幸感で気が狂いそうになっていた。そんなこんなで性的なまなざしを持ってしまった俺は事あるごとに性的なまなざしを発揮してしまい、困っています。でも見るくらい良くない? スケベは俺だけなのか? そんなことないっしょ。まあこれは字数稼ぎであり、性的なまなざしについてはまた今度。書けば書くほど上達するのがブログ道であり、内容はどうでもいいのである。とにもかくにもこんなに書いたんだから読んでちょうだいね。