ブログを再開しようと思う。でもブログって何書きゃいいんだ?

例のごとく三日坊主で終わり更新が途絶えていたこのブログだが、満を持して再開しようと思う。何が満を持してなのかわからないが、何か気が満ちた気がするのである。今夜は満月。いや新月。あるいは他の何かか。

 

さて、なぜこのブログがすぐに更新を停止してしまったのかと言うと、もちろん私の飽きっぽく怠惰で無能な性質によるものなのだが、これでは話が終わってしまうのでちょっと更新が止まった理由について考えることを再開第一回のテーマとしたい。

 

まず私は文章を書くことがすこぶる苦手である。本を読むことはそれなりに好きなつもりだが、書くとなるとてんで文章が頭に浮かんでこない。果たして自分が言葉を駆使する動物なのか甚だ怪しく思えてくるレベルで文章が浮かばない。あんなに本を読むことが好きだったのに。はて本当に私は本を読むことが好きだったのだろうか。私の幼少期にはスマホどころかインターネットすらなかったので本を読むしかなかった。それかゲーム。つまり外でスポーツやら外遊びやらする以外には家で本かゲームしかないわけ。本かゲームの二択ならどちらを選ぶであろうか。もちろんゲームである。スーパーファミコンである。当時スーパーファミコンには「ファイナルファンタジー4、5、6」「タクティクスオウガ」「クロノトリガー」「ダービースタリオン」などの子どもを中毒にする名作ゲームが溢れまくっていたんである。

 

ということは私はそんなに本を読んでいない。読んだ覚えがあるのはライトノベルくらい。当時は「ブギーポップは笑わない」という名作ラノベがあり、中二病だった私は完全にハマった。それではそこからライトノベルにハマりまくったのかというとそれほどでもなく、読んでいたのは前述のブギーポップシリーズに加えて「ラグナロク」「トリニティ・ブラッド」「銀河英雄伝説」くらいなのである。これらは当時からしたら定番中の定番であり、マクドナルドでハンバーガーとビッグマックだけ頼んでマック好きを名乗るようなもんなのである。例えがよくわからない上に貧困だが書いてしまったのでこのまま続ける。

 

というわけでまあ、文章を書くことが苦手なんである上に飽きっぽい。上を見ると随分私にしては長く書いてきたように思える。長く書けば書くほど文句を言われるブロガーもいるわけだし、こんなくたびれることをして文句を言われるなんて真っ平ごめんである。

 

ということで次回に続く。

座椅子が壊れたのと俺が泳げない話と性的なまなざし

PCをやる時は座椅子に座っているのだが、その座椅子の背もたれ部分がとうとう壊れた。座椅子の背もたれは消耗品である。必ずある日壊れてしまう。座椅子の運命だろう。

 

さて、こうなっては俺の背を支えてくれるものは何もない。こうなってはあぐらをかくか正座をするかしかない。俺はあぐらをかくとなぜか足が痺れる。正座のほうがマシである。こうなってはグーグルに聞いて正座の正しい方法を教えてもらうしかない。正座はおそらく姿勢を正すだけでなく性的なクンダリーニ的な何かも刺激するはず。そこらへんもグーグルに聞けばクンダリーニから何から教えてくれるはず。

 

本当に、今は何でもグーグルに聞けば教えてもらえてしまう時代だなあ。正座のやり方もクロールの泳ぎ方も思いのままだ。

 

さていよいよ本題である。俺は泳げない。本題ってほど大した話にもならないのだが、今日はこれを書こうと思う。俺は泳げないのである。

 

幼い頃にスイミングスクールに通うことはもちろん全力で拒否した。学校だけでも面倒くさいのにそれに加えて習い事なんてありえない。ゲームをする時間が減るじゃないか。というわけで水泳を習ったことは一度もない。

 

成長してから人に聞くと、結構泳げない人は多い。今思えばなんてこっちゃないことである。しかし俺の小学校の同級生たちはなぜか運動は妙に出来る野生児ばかりであり、みんな泳げるのである。確認はできないが泳げなかったのはただ俺一人だったのではないか。えらいことである。プールの授業を皆は心待ちにしているのだが、俺は憂鬱しかなかった。夏が近づき気温が上昇しプール開きが近づくと共に世界の終わりが近づいているような気分だった。俺は自分一人だけが恥をかくのは世界で一番嫌いなことであった。今のようにネットもなかった時代であり子どもであったので学校が世界のすべてだったのである。水泳パンツ一丁になって生白い体で無様に水に沈む様を健康的に日焼けした野生児共に嘲笑われるなんて耐えられない。

 

そういう時に俺はどうするか。もちろん得意技のバックレである。学校を休むわけにはいかなかったので、何かと理由をつけては見学である。俺と同じような陰キャ仲間と一緒に日陰でミニ四駆の話などをして時間を潰していたのだが、野生児たちの刺すような視線を感じてこれも耐え難かった。もちろん今となってはプールの隅にいる陰キャのことなんてプールで狂乱状態の暴徒共の脳裏には浮かんではいなかったであろうとは思うのだが。

 

しかし野生児の中にも学校権力の奴隷みたいな奴がいて、ズルをしている奴が絶対に許せないようなのである。しかし俺のズルなんてカンニングのような得をする類のものではなく、単にプールに入らないというだけで誰も迷惑してはいないと思うのだが、それでも許せないようなのである。そんな連中にある日糾弾を受けたような気がする。具体的には思い出せないがきっと受けたのだろう。それ以来権力の奴隷みたいな奴は不倶戴天の敵である。

 

とにかくみんなに同じことをやらせようとするヤツらが大嫌いなのである。完全に私怨なのだが、とにかく魂レベルで嫌いである。ノリという奴も嫌いであり、ノリをぶち壊す行為は大好きである。とにかく根が暗いサボり野郎なので、学級委員長みたいなのには瞬間的に反発を覚える。

 

さて何が言いたかったかというと、ブログが書きたかったのである。結構長く書けて満足である。でもこれで終わってはまた短いと言われそうなのでもうちょい続ける。

 

性的にまなざすとは何か。これは大問題なのである。俺が性的なまなざしを持ってしまったのはおそらく物心がついたのと同時である。生まれながらのおっぱい好きに生まれついてしまった俺は、テレビでおっぱいが映される度に多幸感で気が狂いそうになっていた。そんなこんなで性的なまなざしを持ってしまった俺は事あるごとに性的なまなざしを発揮してしまい、困っています。でも見るくらい良くない? スケベは俺だけなのか? そんなことないっしょ。まあこれは字数稼ぎであり、性的なまなざしについてはまた今度。書けば書くほど上達するのがブログ道であり、内容はどうでもいいのである。とにもかくにもこんなに書いたんだから読んでちょうだいね。

禁煙開始から10日後……

と、いうことは最後のブログの更新から10日以上経っちゃったわけ。これはいつもの三日坊主パターンであろう。このタイミングを持って更新しなければこのブログは放棄され、ネットの海を無意味に漂うことになっちゃうんである。そんなことではいけない。

 

先日ブログの先達からアドバイスを受けたのだが、俺はあまりテーマを設けないほうが良いそうなのである。こりゃありがたい、渡りに船、ネコに小魚、ってもんで、テーマもなしに書き散らすことにする。

 

ともあれ文章というのは難しい。普通は文章を書く際はちょっとは考えながら書くものだろうし、先の展開というものも頭にあるもんかと思うんだが、俺は本当にただ思いのままに書き散らしているだけである。根が粗雑に出来ているもんだからどうしようもない。

 

さて、先ほど俺はNHKのBSで「世界ネコ歩き」なる素晴らしい番組を見ていたのだが、あ、ちなみに俺はこの番組をずっと「世界ふれあいネコ歩き」などと呼んでいたのだが、「世界ネコ歩き」なんである。そういや別にネコとふれあっているわけではない。「世界ふれあい街歩き」の猫版と思っての痛恨の勘違いである。で、今回の舞台はペルーのチチカカ湖で、浮島の子猫が尋常じゃなく可愛かった、以上。なんやのあの猫の可愛さ。

 

ということで何も考えてないと意外と書けるもんである。歴史のことについて何か書きたいとか思ったのではあるが、これはまた後日かな。足利成氏とか古河公方とか関東管領とか後北条氏とか、いいよね。戦国関東はみんな好きでしょう。

 

それはそれとして、いつかは俺もブログで泣かれたい。なんでもいいから泣いてほしい。泣いたって言われて俺も泣きたい。いつかそんなブログで泣いた日もあったね、って、そう言って欲しい。なんか、早くも泣けてきた。ブログっていいものだなあ。書くだけで泣けるよ。今、泣いてる。こんなに泣いたのいつぶりだろう。先週「イコライザー2」を見て泣いて以来かな。

 

それではまた次回の記事で。

 

煙草をやめる

ついに煙草の一斉大幅値上げが来た。

もうどうにもこうにもやってられないので、煙草をやめることにする。

さすがに500円超えたらやっとられんだろう。だって、あれ、単なる乾燥した草やぞ。

 

それにしても全くもって近年の煙草のインフレ率はとんでもない。十年くらい前はゴールデンバットが140円とかで買えていたんだが、いつの間にやらフィルターがついて改悪され、今では400円近いのである。こんな物価の上昇あるか?

 

とは言えこんなもん俺にはどうしようもない。煙草の値上げ反対デモをする力もない。なんてこったい。喫煙者への迫害はこれからもさらに激化するだけだろう。煙草を吸ってるだけで加害者扱いなのだからさもありなん。人は被害者意識のある時にやたら残酷なことをしやがるもんである。なんでそんないじめるん。煙がそんなに憎いか。

 

とは言えこんなことを愚痴っていても現実は何もかわらぬ。永久に禁煙するしかなかろう。

 

1週間。これだけ耐えれば禁煙はいける。経験上、禁煙開始後2、3日もすると禁断症状がやってくる。ニコチンの欠乏により頭の中がグワングワンと揺れ出すのだ。そのグワングワンに一週間ほど耐えれば静寂がやってくるのだが、大抵はそのグワングワンにやられてしまうのである。

 

引っ切り無しにグワングワングワングワンするもんだからもう脳内地震状態であるが、そのリズムで頭部をグワングワンと揺すればなんとかなるかもしれん。なんとかなるやろ。グワングワンに備えてヘドバンの練習するしかあるまい。

ブログに行き詰まりを感じてきた

決死の覚悟でブログを始めてはや3日か4日ほど経過したことになる。ここまでブロガーライフを順調に送って来た反動か、行き詰まりを感じるようになった。

 

三日坊主という古来よりの言葉が言うように、なんでも三日目が正念場なのである。三日を乗り切れば千年とは言わないまでも三ヶ月は続く。

 

ここがまさに天王山、頑張れ俺。

 

そんなこんなで最後の力を振り絞り、記事を投稿することにした。

 

と、ここまで書いてきてふと気づくのだが、書き始めてみると案外書けてしまう。なんでもやる気が大切とは言うが、やる気というものはやり始めないと分泌されないという誠に欠陥だらけの構造を持っている。まったくもってこのやる気というものには振り回されっぱなしである。こんなに文字の羅列を書くなんて俺にしては奇跡的なことだ。まさにやる気のなせる技。為せば成る。

 

さて、なぜ行き詰まりを感じたかというと、思い起こせば24時間ほど前、ブログというものはきちんと推敲をし、テーマを持って書かねばならないのではないかというこれまた初心者ブロガーが陥りがちな小市民的葛藤に囚われたからである。

 

まことにもってアホらしい。宇宙規模で考えれば俺のブログの誤字脱字やテーマの欠如なんてものは些末な問題もいいところなのであり、そんなくだらんことを考えてないで、ハッブル宇宙望遠鏡が撮影した壮大すぎる宇宙写真を見るのが正解なのである。

 

 

 

 

「あけて~ あけて~」稲川淳二はマジびびる

youtubeで怪談を流しながら寝る習性があるのだが、昨日はマジびびった。

 

稲川淳二の怪談である。

 

話の筋は単純極まる。

 

少女が家で寝ていると真夜中にふっと目が覚める。家族は寝静まり、風の音がやけに響いて聞こえる。風の音に乗って微かに「たすけて~ たすけて~」という声が聞こえてくる。気になった少女は寝ぼけ眼で玄関に行くと、ガラス戸の向こうに何かの影が。

 

「あけて~あけて~」影は繰り返す。寝ぼけている少女はその声に誘われて戸を開けようとする。すると

 

「あけちゃいけない!」と、また別の声が響く。はっとした少女は戸から離れる。するとまた

 

「あけて~あけて~」少女は抗し難い何かを感じてまた戸に手を伸ばしてしまう。

するとまた

「あけちゃいけない」

 

の繰り返しである。

まったくもって怖い筋ではないのだが、これを稲川淳二にやられると恐ろしいと言ったらないのである。

 

単に稲川淳二が「あけて~あけて~」「あけちゃいけない」を繰り返し言っているだけといえばだけなのだが、たまらなく恐ろしい。

 

あれはなんなのかね。他の話し手がまったく同じ話をしても全然こわくないだろうし、もちろん文字にしても全然こわくない。映像化して大げさに演出してもさしたる怖さはないであろう。

 

とにかく稲川淳二の声の調子で「あけて~あけて~」「あけちゃいけない」でなくてはならないのである。

 

最近の怪談師はディティールにこだわるが、この話はディティールもクソもない。

ただただ淳二の「あけて~」の繰り返しが耐え難いほど恐ろしい。怪談の語りの恐ろしさの本質は話の筋ではなく、淳二であることがわからされてしまう。

 

もしも稲川淳二が急に家に来て「あけて~」と繰り返されたら俺は開けてしまうかもしれない。